樹木希林の娘の弔辞全文!そっくりな挨拶と母の言葉や父の手紙とは

芸能

こんにちは。きよです。

樹木希林さんが亡くなられたのが2018年9月15日もうすぐ1年になろうとしていますね。

樹木希林さんは亡くなられた後にも色々なかたちでメディアもに取り上げられるので、亡くなられているという実感がありません。

命日月である9月には様々なメデイアで特集が組まれていたりと、樹木希林さんが偉大な女優さんだったんだなと感じる日々です。

そこで今回は樹木希林さんの娘である内田也哉子さんの弔辞について注目していきたいと思います。

 

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樹木希林の娘の弔辞全文!

樹木希林さんの葬儀は東京都港区の光林寺で執り行われました。

この時の喪主は夫でロック歌手の内田裕也さんでしたが、本来葬儀の最後は喪主の挨拶で終わりになります。

しかし、この日は車椅子での参加となった内田裕也さんの体調を気遣い父に変わって、娘である内田也哉子さんが自らしっかりとした挨拶をしたいという思いで最後のあいさつを内田也哉子さんが務められました。

以下が樹木希林さんの娘・内田也哉子さんの挨拶の全文です。

喪主に代わって、一言ごあいさつさせていただきます。

本日は足元の悪い中、大変お忙しい中、母・内田啓子の本葬儀にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。

私にとって母を語るのに、父・内田裕也をなくして語れません。本来なら、このような場で語ることではないのかもしれないですが、思えば、内田家は数少ない互いへのメッセージ発信をいつも大勢の方々の承認のもとに行っていた“奇妙な家族”でした。

また生前母は、恥ずかしいことこそ、人前でさらけ出すというやっかいな性分だったので、皆様が困らない程度に少しお話させてください。

私が結婚するまでの19年間、うちは母と私の2人きりの家庭でした。

そこにまるで、象徴としてのみ君臨する父でしたが、何をするにも私達にとって大きな存在だったことは確かです。

幼かった私は不在の父の重すぎる存在に、押しつぶされそうになることもありました。

ところが困った私が、なぜこのような関係を続けるのかと母を問い詰めると、平然と、だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるからと私を黙らせるのです。

自分の親とはいえ、人それぞれの選択があると、頭ではわかりつつも、やはり私の中では、永遠にわかりようもないミステリーでした。

ほんの数日前、母の書庫で探しものをしていると、小さなアルバムを見つけました。母の友人や、私が子供の頃に外国から送った手紙が丁寧にはられたページをめくると、ロンドンのホテルの色あせた便せんに目が止まりました。それは母がまだ悠木千帆と名乗っていた頃に、父から届いたエアメールです。

『今度は千帆と一緒に来たいです。結婚1周年は帰ってから二人きりで。蔵王とロサンゼルスというのも、世界中にあまりない記念日です。この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。

裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。

俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。突き詰めて考えると、自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです。

ロックをビジネスとして考えなければならないときが来たのでしょうか。最近、ことわざが自分に当てはまるような気がしてならないのです。早くジレンマの回答が得られるように祈ってください。落ち着きと、ずるさの共存にならないようにも。

メシ、この野郎、てめぇ、でも、本当に心から愛しています。

1974年10月19日 ロンドンにて 裕也』

今まで想像すらしなかった、勝手だけれど、父から母への感謝と親密な思いが詰まった手紙に、私はしばし絶句してしまいました。

普段は手に負えない父の、混沌と、苦悩と、純粋さが妙に腑に落ち、母が誰にも見せることなく、大切に自分の本棚にしまってあったことに納得してしまいました。

そして、長年、心の何処かで許しがたかった父と母のあり方へのわだかまりがすーっと溶けていくのを感じたのです。

こんな単純なことで、長年かけて形成されたわだかまりが溶け出すはずがないと自分に呆れつつも、母が時折、自虐的に笑って言いました。

私が他所から内田家に嫁いで、本木さんにも内田家をついでもらって、みんなで一生懸命家を支えているけど、肝心の内田さんがいないのよねと。

でも、私が唯一親孝行できたとすれば、本木さんと結婚したことかもしれません。

時には本気で母の悪いところをダメ出しし、意を決して、暴れる父をなぐってくれ、そして、私以上に両親を面白がり、大切にしてくれました。

何でもあけすけな母とは対照的に、少し体裁のすぎる家長不在だった内田家に、静かにずしりと存在してくれる光景は未だにシュール過ぎて、少し感動的ですらあります。

けれども、絶妙なバランスが欠けてしまった今、新たな内田家の均衡を模索するときが来てしまいました。

怖気づいている私はいつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。

『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』

まだたくさんすべきことがありますが、ひとまず焦らず家族それぞれの日々を大切に歩めたらと願っております。

生前母は、密葬でお願いと、私に言っておりましたが、結果的に光林寺でこのように親しかった皆さんとお別れができたこと、またそれに際し、たくさんの方々のご協力をいただく中で、皆さまと母との唯一無二が交流が垣間見えたことは残されたものとして、大きな心の支えになります。

皆さま、お一人お一人からの生前の厚情に深く感謝しつつ、どうぞ、故人同様、お付き合いいただき、ご指導いただけますことをお願い申し上げます。

本日は誠にありがとうございました。

引用元:スポニチ

樹木希林の娘のそっくりな挨拶

また樹木希林さんが亡くなられた後、樹木希林さんは『第43回報知映画賞』で助演女優賞を受賞されています。

この時の授賞式には樹木希林さんが亡くなられているため、娘である内田也哉子さんが代理で出席をし、このように語られていました。

「母が亡くなり、3カ月がたちました。もう少し、母の声が聞こえたり、夢で会えたりするものか思いましたが、見事にこれっぽちも出てきません」と複雑な心境を語った。

樹木さんについては「褒められるのが苦手で、『素晴らしかったですね』と言われると、『そうでしょう?』とすぐ同意する。そうすると、相手も絶句して話が早く終わるから」と独特のエピソードを披露。「今日もどこかで『死人に賞をあげるなんて物好きね~、で、賞金はいくら?』なんて憎まれ口をたたいていると思います」と、そっくりの声マネで笑わせた後、「真剣といい加減の狭間にいた、あまのじゃくな母に辛抱強くお付き合いいただき、心から御礼を申し上げます」と感謝を述べた。

引用元:デイリー

 

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樹木希林の娘への母の言葉

また、樹木希林さんの娘・内田也哉子さんは樹木希林さんの葬儀の挨拶の中でこのように母である樹木希林さんの言葉を出しておられます。

怖気づいている私はいつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。
『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』

『おごらず』とは、ついつい人間はのぼせ上がってしまうものだから、有頂天になるなということ。

『他人と比べず』とはやはり人間は他人と自分を比較して、どちらが優れているとか勝ち負けを考えたり、他人と違うことを嫌ったり同じでないといけない思ったりしてしまうものなので、こういうことは思うなということ。

『面白がって、平気に生きればいい』この言葉は樹木希林さんらしいと思います。

この考えは樹木希林さんの「この身は借り物」という思いからくるものなのでしょうか。

『平気に坦々と生きればいい』と聞こえてきそうです。

樹木希林の娘についてのまとめ

今回は樹木希林さんの娘である内田也哉子さんの弔辞について注目してみました。

樹木希林さんの娘である内田也哉子さんの言葉をとおして、樹木希林さんという女性と夫である内田裕也さんとの関係も見えてきました。

樹木希林さんと娘の内田也哉子さん、そして父である内田裕也さんは家族のかたちとしては奇妙な関係だったのかも知れません。

しかし、樹木希林さんが女優としてこの世に残した功績は素晴らしいものだったのではないかと思います。

 

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